玉川上水の堤沿いを歩きながら、2週間ほど前だったか近所のもう九十にもなる(はずの)婦人が、豆の煮物を届けてくれたことを思い出した。
時々そのようなことがあるのだが、その日は肩に何やら担いでいるので、それは何かと尋ねてみた。
「お道具が入っているの。これから玉川上水のとこに行くの」
なんと上水の堤の散歩道の、お手入れをしているとのこと。
はにかみながらも嬉しそうに言う。
驚くとともに恐れ入る。
驚くとともに恐れ入る。
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共有自然の管理には中々複雑な事情もあろうが、手間を省き一気に大型重機で無作法とも見える振舞いで行こなうのは急な年度予算の消化のためだろうか。
人間の手で、常日頃こまめに行なえば、多少の失敗があってもそれなりにバランスが取れて好ましい風情にもなろうか。とも思う。
人の手の届く範囲の空間づくりが何気に親和性があるよう。
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江戸の普請事業に流れ行く年月を重ねつつある人工物のような自然物のようなのなかを、
頂いた煮豆の、恐らく長年の感と要領による程よい柔らかさと甘味の引き出された数値では表せないような噛みごたえを思い出しながら歩く。
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