黄色い花は風景に生命感をもたらす。 特に春。
空間を活発に血の通ったものにする。
これは緑のなかで、若芽が黄色よりであることからの連想であろうか。
山吹の場合は黄色といっても微妙に赤よりな為か
不透明な顔料系をこってりと塗り重ねたような色合い・質感だ。
色以外にこれといって書き連ねる特色も無きようにも。。
(写真の色は同じとは限らない)
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山吹というと、どうしても「七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき」という和歌が出てくる太田道灌の逸話を思い出す。
ありのままを説明するのに気が引けるとき、合理的な理屈をこねて言いくるめるのに比べてなんと奥ゆかしいことか。
庶民にまでいきわたっている日本の文化のようなものを感じる。
その場の状況によって意味を結実させる象徴。
それは意識の集中を誘うと同時に、そこから余韻を発する。
切取られた途端、ここで一輪の山吹という設定は、どこにでもある凡庸な花でありながら冴え渡っている。
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