長年棲み続けている或る「庭」の現実からの直接・独自の考察・雑感。

2011年8月26日金曜日

実験としての

近所で明らかに 専門の 植木職人によって 庭木の手入れがよく行き届いているのを見ると、なるほどなあと思う。参考にもなる。

剪定直後は、かなり切り込んでいる。枝先も短く本数もかなり絞ってスカスカにしてある。

そう度々は来られないからか。それで充分茂るのだろう。


ウチの庭でそのように専門屋に任せっきりにしてないのは、ある種の実験を兼ねているから。




隣合う住まいや道路との関係のなかで、目隠ししたい所、風通しを良くしたいところ、季節・時刻によって陽射しを防ぎたい所・得たい所、いろいろ異なる。

昼間の御簾越しはいいが、夜は意外と見えるので、植栽によって目の焦点を紛らしたり。
ちょっとした雨よけを兼ねたりと。下草への日照・風通しのバランスなど普段の生活の微妙なアヤも。

しかるに専門屋に任せると、こちらの複雑な都合はお構い無しには植木としての論理を尊重し、何処でもよく見かける広告写真のようにしてしまう。


実験だから当然、失敗も多々あるが、様々な面において知覚・習得すること多大であり、
そこで得たものを基に、あちこちで目にするものから様々なものが見えてくることも。


身体の行為とともに記憶の深いところに沈殿した感覚によって、全く違ったものが見えてくる。潜んでいる別世界を識ることも。

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それには人任せの人工的なのより、自分で苦労する自然に近い状態の庭のほうが得るものが多いよう。創作家が荒れた庭を好むことの多き所以か。





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これらの糧を思い出しやすいように、などと。

ブログを付けている意味を自分なりに確認してみたりする。




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